歴史・沿革
1964年 〜 1991年
技術革新、国際化の進展の潮流に 総合メカトロニクスメーカーを指向する
1964年 (昭和39年) |
市川忍社長(1964〜71年) 経営再建へ資産を売却し、人員を整理(1965〜66年) 工業炉分野へ進出 不二越共和会が発足 |
東海道新幹線 構造不況 |
1969年 (昭和44年) |
油圧式で産業用ロボット分野に進出 工作機、油圧事業部を発足 海外販売会社を設立/ドイツ(1967年)、イギリス、シンガポール、カナダ(1975年) |
日銀、山一特融 1965〜70年いざなぎ景気 |
1970年 (昭和45年) |
東京本部を世界貿易センタービルに移転 |
大阪万博 |
1971年 (昭和46年) |
技術本部を設ける 精密工具工場をつくる |
ニクソン・ショック 変動相場制へ |
1972年 (昭和47年) |
高松俊夫社長(1972〜79年) 海外生産へ/ブラジル(1972年)、アメリカ、スペイン(1976年)、シンガポール(1979年) |
第一次石油危機 |
1979年 (昭和54年) |
大和田国男社長(1979〜92年)、コーティング工具(ホブ)を発売(1977年) 超精密分野へ進出 世界初の電動型の多関節溶接ロボットを開発 総合展示場を開設(創業50年) |
第二次石油危機 |
1984年 (昭和59年) |
ロボット、精機部門をつくる PM優秀事業場賞を受ける |
1985年9月プラザ合意 円高時代へ |
1986年 (昭和61年) |
円高に対応して市場をシフト PM、情報システムなど関連分野で分社化 |
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1987年 (昭和62年) |
FA技術部、電子技術部発足 |
円高・低金利が波及 |
1988年 (昭和63年) |
韓国・台湾で現地生産 創業60年で不二越迎賓館を開設、不二越病院を改築(1989年) |
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1989年 (平成元年) |
米中西部に生産会社を設立 精密加工材、油圧ポンプ工場をつくる |
資産投機 ベルリンの壁崩れる |
1991年 (平成3年) |
ハンドリングロボットを商品化(1990年) 米機械メーカーNBM[Red Ring]を買収 デミング賞実施賞を受賞 プラチナコーティング工具を発売 |
バブル経済崩れる ソ連邦解体 |